ざっくり解説

1960年代に音楽ジャンル「ロック」が生まれるまで:前編

前回までは1960年代のイギリスのバンドを個別で紹介していってましたが、本記事はロックンロールが生まれるまでのジャンルの流れについて解説していきます。例によって【ざっくり】解説で、分かりやすさ優先で書かせていただきます。

1960年代は「ロック(Rock)」が誕生した時代でした。60年代前半でロックンロールを吸収したティーンたちが無我夢中で楽器を演奏し、曲を作り、ライブでパフォーマンスをしていくうちに、やがてロックンロールは形を変え、ロックというジャンルへ進化し洗練されていきました。

ではロック以前。ロックンロールよりも昔には、どんな音楽が流れていたのでしょう。どんなジャンルがあり、どういう流れを辿ってロックにまで成長したのでしょう。

サブジャンルまで手を伸ばすと大変なことになるので、本記事では大枠としてのジャンルを取り上げていきます。ブルースを例に挙げると、ブルースについての話はしますが、ブギウギ(Boogie-woogie)やダーティ・ブルース(Dirty blues)、ジャンプ・ブルース(Jump blues)などについては基本的には触れない、ということです。ということで、ロックンロールを含め、8つのジャンルをそれぞれ見ていきましょう。

長くなりすぎてしまったので、前・後編の2回に分けることにしました。本記事ではゴスペル(Gospel)、ブルース(Blues)、フォーク(Folk)、ジャズ(Jazz)の4ジャンルについて触れています。

音楽ジャンル第一世代

分かりやすくするために、ジャンルを【世代ごと】に区分して説明していきます。発祥の場所や時代はそれぞれ異なるので、それはその項目ごとに説明していきます。よって、第一世代だからといって同じ時代に誕生したジャンルではありません。ロックが生まれるまでの過程を書くとなると、この辺りは一緒くたにした方が理解がしやすいのではないかな、と判断し、このような形になりました。

ゴスペル

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ゴスペルの発祥:聖書から生まれた

大西洋航路の開拓によって、ヨーロッパ人はアメリカ大陸の植民に乗り出していました。そして、ラテンアメリカの先住民を、鉱山や大農場で奴隷として使いました。
過酷な労働や、ヨーロッパからもちこまれた感染症によって、大勢の人々が亡くなります。これを補うため、ヨーロッパ人はアフリカに人的資源を求めて進出します。大西洋沿岸の港を拠点として、奴隷貿易を始めました。彼らは、沿岸部の人々に武器を渡し、奴隷貿易の仲介をさせました。
アフリカではそれ以前から、戦争で負けた捕虜や犯罪者を、奴隷として売買することはありました。しかし、ヨーロッパ人の奴隷貿易によって、その規模は桁違いのものとなっていきます。
NHK高校講座 | 世界史 | 第21回 アフリカへのヨーロッパ人の進出より引用

17世紀頃、当時のヨーロッパ人は、アフリカに武器や雑貨等を輸出し、その対価として奴隷のアフリカ人を買ってアメリカに送り込み、農業や鉱業などの仕事をさせてアメリカの植民地開拓を進めていました。奴隷としてアメリカの地を訪れたアフリカ人たちは、自国の言葉を禁じられ、信仰していた宗教もはく奪されてしまいます。その代わりに、奴隷を買った白人の主から英語とキリスト教を叩きこまれます。

わざわざキリスト教に入信させたのは、哀れみや慈悲といった類のものではなく、自らの支配下に置くのに一番手っ取り早くて都合が良かったからなんですね。そういった理由でキリスト教、ひいては聖書に親しんだ黒人奴隷たちは、慣れない英語で聖歌や讃美歌を歌って過ごすようになります。中には聖書に感銘を受け、白人の主に聖書について熱心に聞いてくる黒人も現れるようになり、キリスト教は黒人たちに浸透していきました。

聖書の教えに救いを見出した奴隷たちは、夜な夜な讃美歌を歌って踊り、祈りをささげるようになりました。舞台はなかったので、自らの心の中に「見えない教会(Invisiteble Institution)」を想像し、現状に絶望しないために、必死で歌い続けました。

黒人霊歌からゴスペルへ

ヨーロッパの讃美歌に、アフリカ民族由来の手拍子や足踏みなどのリズム、コール&レスポンスやコーラスのハーモニーなどが組み合わさったことで、ゴスペルの前身となる「スピリチュアルズ(Spirituals)」といわれる音楽が、アメリカ南部を中心に生まれました。これは「黒人霊歌(Slave songs,Jubilee songs)」とも呼ばれています。当時は聖書くらいしか書物が許されていなかったのと、奴隷という絶望的な環境下にあったため、黒人霊歌の歌詞は自然と神秘的であり前向きなものが多くなりました。厳しい環境でも神を信じて希望を持ち、仲間たちと明るい未来を見出そうというのが黒人霊歌の芯にあったのです。

19世紀に入ると、南北戦争の結果、当時の大統領エイブラハム・リンカーン(Abraham Lincoln)が奴隷の解放宣言をしました。ただ、反対する州も多く、当時は特に生活に変化は訪れなかったそうです。しかし、徐々に市民権を得られるようになった黒人たちは自立し、黒人のコミュニティを築くまでに成長。1870年頃には、奴隷解放宣言のおかげもあり、差別はあれど一応は学校に行ったり仕事をしたりできるようになりました。

そんな折、黒人の学校フィスク・スクール組織されたフィスク・ジュビリー・シンガーズ(Fisk Jubilee Singers)が、フィスク大学の資金集めのために組織されます。

フィスク・ジュビリー・シンガーズは歌の巡業しながら、各地の教会で寄付を募って回りました。すると、そのパフォーマンスが話題になり、ついにはメディアからの賞賛を浴びるまでになります。それは2年後にはホワイトハウスに招待されるまで成長し、黒人霊歌はジャンルとして確実に市民権を獲得するに至ったのです。そして1874年頃、フィリップ・ブリス(Philip Bliss)という人物が「ゴスペル・ソング(Gospel Songs)」という歌集をリリースしたことで、黒人霊歌は「ゴスペル」と呼称されるようになりました。

ゴスペルの意味・由来

「ゴスペル」は"God Spell"の略で、「福音」や「神の御言葉」を意味します。ちなみに正式にはゴスペル・ミュージック(Gospel Music)。主にアフリカ系アメリカ人のゴスペルをそう呼び、白人が歌うゴスペルは「コンテンポラリー・クリスチャン・ミュージック (Contemporary Christian music)(以下CCM)」と呼ばれます。

CCMは1960年代後半に生まれた音楽ジャンルで、アメリカの歌手エイミー・グラント(Amy Grant)やマイケル・W・スミス(Michael Whitaker Smith)などがそれに当たります。発祥はテネシー州ナッシュビル。

ゴスペルの発展を支えた人物たち

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公民権運動

20世紀に入ると、歌手として有名になるゴスペル・シンガーの人々が出てくるようになります。最初期にはトーマス・A・ドーシー(Thomas A. Dorsey)が最も知られ、彼は「ゴスペルの父」と称されています。代表曲には"Precious Lord, take my hand"があり、これはエルヴィス・プレスリー(Elvis Presley)やアレサ・フランクリン(Aretha Franklin)などにもカバーされています。

他にザ・ブラインド・ボーイズ・オブ・アラバマ(The Blind Boys of Alabama)やアリゾナ・ドレインズ(Arizona Dranes)らも台頭し、ゴスペルは一つの音楽ジャンルとして確立していきます。

1950年代にはジュリアス・チークス(Julius Cheeks)というゴスペル・シンガーがセンセーショナル・ナイチンゲール(Sensational Nightingales)というグループでデビューして、シャウトするような歌唱法を編み出します。これにより彼は「最初のソウル・シンガー」と呼ばれるようになり、ジェイムス・ブラウン(James Brown)やウィルソン・ピケット(Wilson Pickett)など、次世代のソウル・シンガーたちに多大な影響を与えました。

1960年に入ると「公民権運動」の時代に突入します。キング牧師やマルコムXなど、黒人解放運動のために活躍した人々を筆頭として、多くの黒人が平等や自由・権利を求めてデモ行進をしました。また、ビール・ストリート・バプティスト教会(Beale Street Baptist Church)にて会合の場を開くなど、様々な方法で黒人の地位向上が画策されていき、キング牧師の持つ夢(人種差別の撤廃と各人種の協和)に向けて突き進んでいきました。

そしてそこには常に歌がありました。当時ピーター・シーガル(Pete Seeger)がリリースした"We shall overcome"や伝統歌"Oh Freedom"といった公民権運動のためにあるかのような楽曲は、政治的な活用もされつつ、時代を代表するゴスペルの歌として歌われました。この2曲はSpotifyだと『A Link in the Chain』に収録されています。

ブルース

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ブルースの発祥:労働歌

ブルースが音楽として生まれた場所は、アメリカのディープ・サウス(ルイジアナ州、ミシシッピ州、アラバマ州、ジョージア州、サウスカロライナ州)です。ヨーロッパ人により、アメリカの植民地開拓の人的資源としてアフリカから奴隷として運び込まれた黒人たちは、トウモロコシの殻むきをしたりラバの皮を剥いだりと、農業や狩猟といった労働を課せられ、日々を過ごしていました。

発祥の地や人々はゴスペルと同じですが、ブルースで歌われる内容は「奴隷として強制労働させられた苦境や人種差別」など、暗く重い内容のものが多数を占めていました。ゴスペルは「聖書をベースとした前向きで希望のある歌詞とメロディ」が際立つ音楽ジャンルですが、ブルースはまさにその対極にあるような存在だった、といって良いのかもしれません。

ブルースの元祖となるのは「労働歌(Work song)」や「フィールド・ホラー(Field holler)」と呼ばれています。フィールド・ホラーは直訳すると「路上で叫ぶ」という意味で、これはつまり労働中にも歌が歌われていたことが予測されます。労働ばかりで、同じことをひたすら繰り返すような毎日だったため、それらの単調さを避けるために歌ったのかな、と考えることもできますし、リズムを付けて作業の効率化を図ったのかな、とも考えられます。

労働歌は複数人で「コール&レスポンス」で掛け合いをしながら、時に歌詞やメロディを即興で紡ぎ合わせながら歌われていました。この時点で既にブルースの基本である「ブルー・ノート・スケール」という独自のコード進行は在ったようですが、これは彼らの出生地である西アフリカ音楽由来のもののようです。

ブルースの意味・歌詞

ブルースは「憂鬱」を意味する「ブルー」が語源とされています。ヨーロッパ人からしたら、アフリカ音楽由来の音階は耳慣れないもので、どこか哀愁を帯びた雰囲気を感じ取ったことが由来のようですね。

また、憂鬱や悲しみを意味する「青い悪魔(Blue Devils)」という言葉から拝借したという説もあり、これは1600年代にイギリスで使用された用語で「アルコールによる激しい幻覚」を意味します。奴隷から抜け出した黒人たちは、バーなど飲酒の席でブルースを弾くことが増えてきたため、というのも理由としてはあるのかもしれません。

ブルースの誕生

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ブルースがブルースとして認識されるようになってきたのは1860年頃のこと。奴隷解放宣言で解放法が制定され、黒人たちのコミュニティが徐々に形成されていったのですが、そこでブルースは「自由の象徴」として黒人から親しまれるようになっていきました。

そんな19世紀の頃、黒人たちへの差別は奴隷の頃と変わりがなかったようで、町の中心部には入れず、黒人が入れない店があるなど、ひどい迫害は続いていました。奴隷解放宣言がされたところで、労働環境や生活はあまり改善はしなかったとされています。とはいえ、この頃から少しずつですが、少人数もしくは一人で歌う人も出てくるようになってきました。やはり奴隷でなくなったこと・強制的な集団での生活といった様式が徐々に薄れていったこと等が理由としては大きそうです。

そんな環境の変化もあり、彼らは中心部には近寄らず、郊外に「ジューク・ジョイント(Juke joint)」と呼ばれる音楽やダンス、ギャンブル、飲酒を楽しめる場を自らの手で設立しました。ブルースも主にこういった場で発展していき、ここからバンド・スタイルやソロのブルース・マンが誕生していったのです。

この頃のブルースの歌詞は苦しい経済、過酷な労働、黒魔術や災害、悪魔などの超越存在などについて歌われていましたが、戦後になると生活が変わったこともあり、そういった要素は少しずつ姿を見せなくなります。その代わりに、人間関係や性的な問題について歌われるようになっていきました。

ブルースの流行

当時のブルースは音楽的に手軽だったようで、12小節・3コードのルール、それと最低限の理論を知っていれば誰とでもすぐにセッションできる点が魅力でした。黒人たちは複数人でギターを持ち、歌を歌い、手拍子や足踏みでリズムを取って音楽を作り出し、バンドを形成していきます。リズムはシャッフルやカリプソ、8ビート辺りが基本で、そこにウォーキング・ベースのラインでリズムを強化したことで、「グルーヴ(Groove)」という概念を生み出しました。

ブルースが流行した理由は、1920年頃に田舎の南部から都会の北部へ人民が大移動したことが挙げられます。

アメリカ南部は黒人を奴隷として扱っていたこともあり、特別人種差別がひどく、それは依然としてひどいままでした。そんな時分、北部では仕事が増えているという噂を聞いたり1927年にミシシッピ大洪水といった災害が起こったりしたことで、南部の黒人たちは職や安全を求めてシカゴ、デトロイト、ニューヨークやロサンゼルスなどの工業都市への大移動を始めます。

結果として、黒人たちの所得は大幅な増加となり、生活に余裕が生まれました。良い服やレコードを買い、中には頭脳労働をする黒人まで現れるようになり、黒人のコミュニティは市場に影響を与えらえるだけの存在へと成長していきます。その存在を無下にできなくなった音楽業界は、「レース・レコード(Race Record)」という黒人音楽専用の部門を立ち上げ、ブルースが市場に流通するに至ったのです。

ブルースの発展を支えた人物たち

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1903年、クラシック音楽の教育を受けた音楽家W・C・ハンディ(W. C. Handy)が、ミシシッピ州の鉄道駅で初めてブルースを耳にしました。彼はアメリカで最初に流通したブルース音楽の作曲者で、のちに「ブルースの父」と呼ばれました。2003年にアメリカ合衆国議会が「ブルース100周年」としたのは、彼がブルースを発見したその日から100年ということです。ブルースはそれ以前から存在していた、ということですね。

1912年になると、ハート・ワンド(Hart Wand)が最初の著作権で保護されたブルース楽曲"Dallas Blues"をリリースします。そして1920年、マミー・スミス(Mamie Smith)の"Crazy Blues"が、黒人として初めてのブルース楽曲としてレコーディングされました。"Crazy Blues"はミンストレル・ショー(Minstrel show)で作曲家をしていたペリー ブラッドフォード(Perry Bradford)が作曲したものです。"Crazy Blues"を含め、レース・レコードはいくつかの曲をリリースし、年内で100万部ものレコードを売りました。

「ミンストレル・ショー」とは、1840~1880年頃にアメリカで人気だったショーの名称です。白人が焦がしたコルクで顔を黒く塗り、黒人の口調や動作を真似して歌ったり踊ったりする演目で、黒人差別を助長するような風刺を込めたコメディ劇を主とするものでした。19世紀終盤にはバラエティやミュージカルのショー、歌や手品・漫才といった「ボードヴィル・ショー(Vaudeville show)」に取って代わられ、1964年に施行された公民権法によって、差別的な内容のミンストレル・ショーを民意が求めなくなったことで、今では存在しないものとなりました。

その後、ブラインド・レモン・ジェファーソン(Blind Lemon Jefferson)やロニー・ジョンソン(Lonnie Johnson)といったブルースマンたちが台頭し、1930年代にはロバート・ジョンソン(Robert Johnson)がレコーディングをしたりと、徐々にブルースの音楽的地位は向上していきます。

1950年代にはシカゴ・ブルースが大流行し、マディ・ウォーターズ(Muddy Waters)、ハウリン・ウルフ(Howlin' Wolf)、ウィリー・ディクソン(Willie Dixon)らが名を上げ、これらのブルースを聴いたチャック・ベリー(Chuck Berry)やエルヴィス・プレスリー(Elvis Presley)らによって、ロックンロールが作られていくのでした。

フォーク

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民族伝承歌:フォークロア

フォーク・ミュージックの歴史は古く、その起源を特定するのは難しいため、ここでは「フォーク」という言葉が生まれた1846年をフォーク元年とします。1846年、イギリスの古物研究家ウィリアム・トムズ(William Thoms)は、イギリス各地で歌われる音楽、歌そしてダンスを総称して「フォークロア(Folklore)」と名付けました。

フォークロアは「民族伝承」という意味があり、2つの言葉が語源になっています。

"folk"はドイツ語の"volk"が語源で、これは「人、民族」を意味します。続いて"lore"。これは「伝承」という意味があるのですが、古期英語"lar"が徐々に変化してloreになったそうです。"learn(学ぶ)"も同じ語源から来ていますね。

当時は録音技術だけでなく、民衆のほとんどは文字も読めなかったため、「歌」によってフォークは覚えられ、民族間で親しまれたのです。フォークはイギリスだけでなく、オーストラリアやアメリカ、カナダにスペインなど、ありとあらゆる地域で"それぞれの民族の伝承歌(民謡)"が歌われました。

歌詞の内容としては、イベント事を記念したものが多かったそうです。クリスマス、イースター、夏の訪れを祝うメーデーといった世間一般の行事の歌もあれば、誕生日や結婚式、葬儀などの個人的なイベント行事でもしばしば歌われていました。

民族伝承の歌なため、フォークは生活を描いた歌が主でした。農業や機織り、ダンスなど娯楽の歌などが挙げられます。他に戦争や劇作、自然災害の歌など、危険察知的な意味合いが込められた歌なんかも含まれました。ロビン・フッド(Robin Hood)やジョン・ヘンリー(John Henry)といった伝記上の人物の歌もあったそうです。

アメリカのフォークはルーツ・ミュージック(Roots Music)と呼ばれ、地方のフォークの一部は後にワールド・ミュージック(World Music)と呼ばれました。

クラシック音楽家によって収集されたフォーク

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1789年にフランス革命が起こり、セルビア革命にナポレオン戦争、ベルギー独立革命など様々な独立革命がヨーロッパ各地で起こり、最終的に1848年に「ヨーロッパにおけるナショナリズムの台頭(The rise of nationalism in Europe)」として結実した頃、クラシック音楽家たちの音楽的興味は民謡に向かっていました。

民謡は主に「フィールド・ワーク(Field work)」という手法で集められました。フィールドワークとは、調査対象のある現地へ実際に赴き、直接観察したり関係者に聞き取りをしたりなど、現地の資料等を探し集める調査技法のことです。要は一時情報を自らの手でかき集める手法、ということですね。

特にフランシス・ジェームズ・チャイルド(Francis James Child)の"English and Scottish Ballads" (1857-58年)が広く知られ、これは英語とスコット・ランド語のものが300曲超収録されているそうです。楽曲の歴史としては、16世紀以前のものだったとか。ワーグナーやリスト、ドヴォルザークといった1800年代のクラシック音楽家も、当時はよく民謡を聴き、楽曲に反映していたそうです。

フィールド・ワークは実際の録音ではなく個人の記録・記憶に頼る部分が大きいため、結果として一つの楽曲から複数のバリエーションが生まれました。例えばアイルランドの楽曲"I'm a Man You Don't Meet Every Day"は1900年以前のものですが、これは1958年にカナダで、1961年にスコットランドで録音されましたが、実際の完全なオリジナル版は現存していないため、各々の解釈によって改めて作られたものなのだとか。

しかしこれは、民族間では「自然淘汰の結果であり、改善のプロセスの流れに則ったもの」なので、今在る姿が正しい、という解釈で良いみたいですね。柔軟な考えが素敵です。

文学的進歩は1800年頃、トーマス・パーシー(Thomas Percy)とウィリアム・ワーズワース(William Wordsworth)によって行われました。ワーズワースはイギリス北西部の湖水地方をこよなく愛したことで知られる詩人で、個人的にもよく目にする人物名の一人。彼については「羊飼いの暮らし イギリス湖水地方の四季」(2017年)や「ウォークス 歩くことの精神史」(2017年)辺りが記憶に新しく、読み物として面白いのでおすすめです。これらはワーズワースの著作ではありませんが。

詩的文学や歩行などの分野について、同年代に活躍した哲学者ジャン=ジャック・ルソー(Jean-Jacques Rousseau)の「孤独な散歩者の夢想」(1951年)も併せておすすめしておきます。

現在のフォーク:コンテンポラリー・フォークになるまで

19世紀末頃になると、セイバイン・ベアリング・グールド牧師(Sabine Baring-Gould)が"Songs and Ballads of the West"(1889–91)を出版します。1901年からは音楽教師にして民謡コレクターのセシル・シャープ(Cecil Sharp)が彼の活動に参加し、1907年には学校向けの英語民謡を編集しまとめ上げました。

彼らは1911年に英国民族舞踊協会(English Folk Dance Society)を設立し、1932年にそれは英国民族舞踊民謡協会(English Folk Dance and Song Society / 通称:EFDSS)になりました。当時のイギリスの伝統的な歌、音楽、ダンスはここに保存され、広く発信されていきました。特にセシルは学校の音楽教師ということもあり、積極的に子供たちに伝播し、後のフォーク・リバイバル(Folk Revival)に大きく貢献することになったのです(後述)。

北米で生まれたフォーク

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民族伝承の歌なので、フォーク・ミュージックは世界各地にそれぞれ独自に存在し、その音楽性やメッセージは場所によって大きく異なります。基本的に本記事ではフォークといえばアメリカの現在のフォークを指しますが、例えばスペインのフラメンコ(Flamenco)なんかも、元を辿ればフォーク・ミュージックがルーツなのです。

1888年に北米にて、アメリカ民俗音楽学者たちがアメリカ民俗学会(American Folklore Society / 通称:AFS)を結成します。彼らはネイティブ・アメリカンたちの音楽を探求することを主とし、ロバート・ウィンズロー・ゴードン(Robert Winslow Gordon)やアラン・ローマックス(Alan Lomax)などを通じて、北米のありとあらゆるフィールド・ワーク音楽資料を収集しました。

イギリスのEFDSS所属のセシルもこれに参加し、モード・カープルズ(Maud Karpeles)とオリーブ・デイム・キャンベル(Olive Dame Campbell)らと共にアパラチア山脈の伝統歌を録音しました。これは後に「カントリー・ミュージック(Country Music)」や「ヒルビリー(Hillbilly)」と呼ばれる音楽ジャンルとなるのですが、こちらについては後編にて紹介していきます。

フォークが政治的メッセージを担うまで

1930年以前のフォークはこのように、ひたすらフィールド・ワークをして現地の音楽を集め、都度発表されたのですが、基本的にフォークは"学者やコレクターのための音楽"でしかありませんでした。しかし、1930年代に起きた世界恐慌により、フォークのメッセージ性は地域性や平和的共存などを中心に、政治的・社会的活動のテーマや運動と絡み合い始めるようになったのです。

共感を中心として、次第にフォークは一般的な音楽として受け入れられました。当時特に有名だったフォーク・シンガーはウディ・ガスリー(Woody Guthrie)で、彼を筆頭に現在の「フォーク(Folk)」というジャンルが誕生します。1934年にはナショナル・フォーク・フェスティバル(National Folk Festival)というフォーク中心のフェスが開催されるなど、フォークは驚くべき早さで市民権を獲得していきます。

区分されていくフォーク

現在のフォーク:フォーク・リバイバル
先に名前だけ出ていたフォーク・リバイバルですが、これは1930~1960年代辺りのフォーク・ミュージックを指し、この頃からのフォークをコンテンポラリー・フォーク・ミュージック(Contemporary Folk Music)、それ以前のフォークをトラディショナル・フォーク(Traditional Folk)と区分しています。

この時点で、フォーク・ミュージック・リバイバルは3つの方向に分かれていきます。

  1. 伝統主義:フィールドワークを主とした、原作の保存
  2. 民俗学者:世に出るものではなく、民族のためにあるべき
  3. 民族復興主義:社会的、政治的闘争のための音楽

結果は歴史が語ってくれるように、当時のフォーク以降、歌詞には政治的メッセージが込められるようになっていきます。とはいえ、それ以外の二派が完全に淘汰されたわけでもなく、ジーン・リッチー(Jean Ritchie)のようにアパラチアの伝統歌をレコードに保存して残す活動をされた方もいました。

その後、ウディ・ガスリーやイワン・マッコール(Ewan MacColl)、A.L.ロイド(A.L. Lloyd)など1930~1950年代のフォークを聴いて育ったボブ・ディラン(Bob Dylan)がフォーク・ミュージックを世界的に有名な音楽ジャンルにしていき、1960年代にはバンドと呼応してフォーク・ロック(Folk Rock)という新たなジャンルを生み出していくのでした。

ジャズ

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ジャズの発祥・語源

ジャズは、19世紀末頃~20世紀初頭に北米のルイジアナ州ニューオーリンズにて生まれた音楽ジャンルです。西アフリカの音楽表現リズムとヨーロッパのクラシック音楽がベースにあり、ブルーノートスケールや不規則なリズム、即興演奏(Improvisation)が特徴の音楽で、そのルーツはブルースとラグタイム(Ragtime)というジャンルにあります。

また、ジャズという言葉の語源は、1860年頃に使われた俗語「ジャスム」にあるとされています。これは「エネルギー」を意味していて、1912年頃に野球の投手がジャズボールという変化球を「ぐらつく球」と表現したことが発端となり、ジャズとして定着しました。

ジャズの起源:ラグタイムとは

事の発端は1865年の頃。奴隷制度の廃止によって職を探すことになったアフリカ系アメリカ人は、雇用を求めてバーやミンストレル・ショー、演劇やコメディ・ショーなどのエンタテインメント業界で音楽を始める人が増加。多くのマーチング・バンドが結成され、ピアニストはクラブや売春宿などで演奏し、生計を立てるようになりました。これらは1800年代末頃から「ラグタイム(Ragtime)」と呼称されるようになります。

ジャズの起源はラグタイムにあり、その原型は「マーチングのリズムにアフリカ音楽のポリリズムが追加されたもの」です。1896年頃からシンコペーションやポリリズム、変拍子などを活用した不規則なリズムの楽曲が徐々に増え、踊れる音楽として人気となりました。ラグタイムは都市セントルイスにて、アフリカ系アメリカ人によって生み出され、1919年頃まで流行しました。

ラグタイムが最初に話題になったのはベン・ハーニー(Ben Harney)による楽曲"You've Been a Good Old Wagon But You Done Broke Down"(1896年作)です。また、スコット・ジョプリン(Scott Joplin)は「ラグタイム王」(King of Ragtime)と称されるほど当時最も人気のアーティストで、"The Entertainer"は多くの方がご存じではないかと思います。

ラグタイムからジャズへ

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ラグタイムは北アメリカから南下し、ニューオーリンズにてブラスバンドやダンスを取り入れることで更に発展していきます。リズムとして新しいラグタイムは、1910年代になるとショー・ダンサーのヴァーノン&アイリーン・キャッスル(Vernon and Irene Castle)という夫妻のダンス・チームによってワルツ、キャッスル・ウォーク(タンゴ)、フォックストロットなどのダンスを広めました。また、ここで流れる音楽はダンス・オーケストラと呼ばれ、1920~1930年頃にはビッグ・バンドというサブジャンルへ成長し、最盛期を迎えます。

ゴスペル~フォークまでの音楽は「伝承・メッセージ」のためのものでしたが、ジャズは明確に「踊るため」の音楽として発展していきました。1920年代、ジェリー・ロール・モートン(Jelly Roll Morton)を筆頭に、ラグタイムの音楽はより踊れる「スウィング(Swing Music)」へと発展し、名称もジャズへと変わっていきます。

ジャンルで追うジャズの歴史

音楽としてのジャズの説明は以上になりますが、1920年からのジャズの成長度合い(サブジャンルの発展速度)はものすごいものがあるため、ここでは1920~1960年頃までのジャズのジャンル遍歴を辿っていきます。

  • 【1920年代】ラグタイム→ジャズ・スウィングに発展
  • 【1930年代】スウィング時代(Swing Era)」全盛(1935~1946年まで)。ビッグ・バンド、ハード・スウィング、即興演奏など、ジャズが多彩化。特にビッグ・バンドが流行
  • 【1940年代】ビバップ(Bebop)が登場。早いテンポで即興中心。大衆性より芸術性を求め、ジャズの人気に陰りが見える。「踊る」から「聴く」ジャズへ
  • 【1940年代②】クール・ジャズ(Cool Jazz)はより穏やかでスムースなサウンドを、長く直線的なメロディと絡めた。白人のためのジャズとされたが、創始者はマイルス・デイヴィス。後にウエスト・コースト・ジャズ(West Coast Jazz)へと発展
  • 【1950年代】R&Bやゴスペルなどの影響色濃いハードバップ(Hard Bop)が登場。ビバップの拡張版のような音楽
  • 【1950年代②】モーダルジャズ(Modal Jazz)。1つもしくは少数の音階(モード)からメロディを即興で作成・演奏するジャズで、メロディ・ラインが強調されているのが特徴
  • 【1960年代】形式に囚われないフリー・ジャズ(Free Jazz)の台頭。インド、アフリカ、アラビアなどの音楽も取り入れたアバンギャルド・ジャズ(Avant-garde Jazz)も流行になる

~1940年頃までは、即興よりも楽譜に忠実に演奏する方が主流だったのですが、1940年代半ばに登場したビバップ以降、ジャズは即興で演奏されることが増加しました。ビバップは、単純に演奏に飽きたアーティストたちがバーの閉店後に即興で合わせて演奏したことで生まれた音楽ジャンルです。1950年代になるとモーダルジャズが流行し、そこではコード進行すら放棄したことで、さらに即興的な音楽へと発展していきます。

ジャンル別の代表的なアーティスト・アルバム

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時系列で代表的なアーティストも見ておきましょう(リンクはSpotify→アルバム)。

  • 【スウィング(1935~1946年)】デューク・エリントン(Duke Ellington) - At Fargo 1940、ルイ・アームストロング(Louis Armstrong)。ベニー・グッドマン(Benny Goodman)
  • 【ビッグ・バンド(1930年代)】ルイ・アームストロング(Louis Armstrong and his Orchestra)、デューク・エリントン(Duke Ellington and His Orchestra)、グレン・ミラー・オーケストラ(Glenn Miller Orchestra)
  • 【ビバップ(1944年~)】チャーリー・パーカー(Charlie Parker) - The Immortal Charlie Parker、ディジー・ガレスピー(Dizzy Gillespie) - Groovin' High、デクスター・ゴードン(Dexter Gordon)
  • 【クール・ジャズ(1946年~)】マイルス・デイヴィス(Miles Davis) - Birth of the Cool、スタン・ゲッツ(Stan Getz) - Conception、ジェリー・マリガン(Gerry Mulligan)
  • 【ハード・バップ(1954年~)】ジョン・コルトレーン(John Coltrane) - Blue Train、マイルス・デイヴィス - Walkin'、チャールズ・ミンガス(Charles Mingus) - Blues & Roots、アート・ブレイキー(Art Blakey) - Art Blakey Big Band、ソニー・クラーク(Sonny Clark) - Dial S for Sonny
  • 【モーダルジャズ(1958年~)】マイルス・デイヴィス - Kind of Blue、ジョン・コルトレーン - My Favorite Things、ウェイン・ショーター(Wayne Shorter) - Night Dreamer
  • 【フリー・ジャズ(1960年~)】オーネット・コールマン(Ornette Coleman) - Free Jazz、アルバート・アイラー(Albert Ayler) - Spiritual Unity、サン・ラ(Sun Ra) - The Heliocentric Worlds of Sun Ra、ジョン・コルトレーン - Ascension

当然、他にも多くのジャズ・アーティストやバンドはありますし、名盤も沢山ありますが、本記事では割愛とさせていただきます。

このように、ジャズは驚異的な早さで音楽的発展を遂げ、以降様々なジャンルとクロスオーバーを果たすのです。

おわりに

というわけで、ここまでが「ロックンロールが誕生する以前の音楽ジャンル:第一世代」の話でした。

後編はカントリー(Country)、ソウル(Soul)、R&B(リズム&ブルース)、ロックンロール(Rock'n'Roll)の4ジャンルについて紹介していきます。…のですが、その前に「2020年の個人的ベスト・アルバム15」を先にアップしようと思っているので、後編は2週間後になります。あしからず。