ざっくり解説

【ざっくり解説】1960年代のザ・フー歴史とアルバム4枚

1960年代、イギリス4大バンドといえばビートルズ(The Beatles)、ストーンズ(The Rolling Stones)、キンクス(The Kinks)、そしてザ・フー(The Who)です。60年代ラストはザ・フーについて。終わったら70年代に向かう前に、一度1960年代に誕生・派生したジャンルやムーブメントについて触れていこうと思います。

※アルバムは『』でくくり、楽曲は""でくくります。アルバムはカナ表記等ありますが、楽曲は英表記のみに留めさせていただきます。

ザ・フーの軌跡

まずはこちらのプレイリストを。1960年代のザ・フーといえばやはり『トミー(Tommy)』ということで、『トミー』を可能な限り元の形で残しつつ、バランス良く1st~3rdの楽曲を盛り込んだ感じのプレイリストです。

ザ・フーとは

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L→R:ピート、キース、ロジャー、ジョン

ザ・フーは1964年にロンドンで結成されました。結成当時は多少メンバーが異なりますが、基本的にザ・フーといえばこの4人。

  • ピート・タウンゼンド(Pete Townshend) / Gt, Vo
  • ロジャー・ドルトリー(Roger Daltrey) / Vo
  • ジョン・エントウィッスル(John Entwistle) / Ba, Vo
  • キース・ムーン(Keith Moon) / Dr

4人組バンドではありますが、構成は3ピースバンドと同じ形なんですよね。イギリス4大バンドの中で「ギターが一人しかいないバンド」は実はザ・フーだけなのです。その分ジョンとキースのリズム隊がめちゃくちゃ強いので、バランスとして全く申し分はないのですが(ジョンは「ローリング・ストーン誌の選ぶ最も偉大なベーシスト」1位(2011年)。キースは「ローリング・ストーン誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のドラマー」2位(2016年))。

ちなみにピートはタウンゼント、ロジャーはダルトリーというのが一般的ですが、正式な発音としてはタウンゼンド、ドルトリーが正解。本記事では、正式な発音の方を採用しています。

ザ・フーの起源

ザ・フーの始まりは1961年。前身となるディトゥアーズ(Detours)というバンドをロジャーが学友と組み、活動していました。素行不良で有名だったロジャーは15歳で学校を退学処分となり、板金工として働き始めます。

ジョンとピートは同じ学校になったことで友人関係になり、当時一緒にジャズやスキッフル(イギリス版ロックンロール)といった音楽のカバー・バンドをしていました。ロジャーと彼らは同じ学校の先輩後輩という関係で、ロジャーがジョンを誘ったことで関係し始めるようになりました。そこに26歳既婚のダグ・サンダムというドラマーが加入し、当時のボーカルの名前を冠した「デル・アンジェロ&ヒズ・ディトゥアーズ(Dell Angelo & His Detours)」の活動が開始されました。

ボーカルはデル(本名:コリン・ドーソン)で、ロジャーは当時リード・ギターを担当していました。結成から1年を迎えた頃にデルが脱退し、そのままロジャーがギター・ボーカルを担当。板金工として働いていたため、頻繁に手を怪我していたこともあり、ボーカルに専念したことで、リズム・ギターだったピートがリード・ギターとなりました。

バンド名の由来

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バンドは順調に活動を進め、結成から3年でTVに出演できるくらいにまで成長しました。1964年の2月に出演した番組で、共演したバンドがジョニー・デヴリン&ザ・ディトゥアーズというものだったため、急遽バンド名を変更することになりました。

当時からバンド名をコロコロ変えていたこともあり、特に抵抗なく話し合いがされ、バンド名が「ザ・フー」に決まりました。由来は

"ピート「僕がカレッジへ行ってた時、音楽好きの友だちができてね。まあ、ジョンとかロジャーなんだけど、そのうちの誰かが付けたんだ。『ザ・フー』って呼ぶ前にいろんな名前を付けてやってたんだけど、どうも面白くない。で、何かジョークを飛ばし合ってるうちに、『ザ・フー』っていうのはどうだろう?ってことになって、決まったわけさ。」"
バンド名由来辞典より引用

とのこと。最終選考に『ザ・ヘアー』という候補もあったとか。ザ・フーという名称に深い意味はなさそうですが、バンド名というのは得てしてそういうものですよね…。

キース・ムーンの加入

1964年。バンド名がザ・フーに決まった後日、ダグとピートが大喧嘩をしてしまい、ダグが脱退することに。バンドはそのまま代役を雇い入れてしばらくやり過ごしていたのですが、ある日のライブで観客から「もっと上手いドラマーがいるぞ!」と野次られます。野次を入れた観客の隣にいた人物がそのままステージに上がり、バンドの持ち歌だったボ・ディドリー(Bo Diddley)の"Road Runner"を一緒に演奏し始めました。その人物はただドラムが上手いだけでなくパフォーマンスも派手で、最終的には(自分のものでもないのに)ドラムセットをぶち壊して周囲を圧倒しました。

ジョンとピートは彼のドラム・スキルに惚れ込み、その日のうちにその人物ことキース・ムーンに加入を打診します。キースもその申し入れを受け入れ、ここにザ・フーが完成したのでした。

ザ・フーが受けた音楽的影響

ザ・フーの作詞作曲はほぼ全てギターのピートが担当していますので、ここではピートの音楽遍歴について少し触れておきます。

当時のイギリスのキッズは、アメリカンのロックンロールやスキッフルや夢中になるのが常だったのですが、ピートはビル・ヘイリー(Bill Haley)の"Rock Around the Clock"やエルヴィス・プレスリー(Elvis Presley)などにはあまり関心がなく、R&Bやジャズに傾倒していました。

この辺りは彼の家族の職業が大きく影響している部分があります。父はスウィング・バンドに所属する管楽器プレイヤーで、母もプロのシンガー。さらに祖父はフルート奏者兼作曲家。生粋の音楽一家であり、オーケストラやジャズ方面を家族全体で好んでいたんですね。実際、家ではフランク・シナトラ(Frank Sinatra)やエラ・フィッツジェラルド(Ella Fitzgerald)といったトラディショナルなスタンダード・ナンバーだったり、デューク・エリントン(Duke Ellington)のようなスウィングやビッグ・バンドのジャズが良く流れていたのだとか。

その後ピートはギターを手にし、作曲に興味を持ちます。ロックンロールが好きな友人とバンドを組み、ジミー・リード(Jimmy Reed)やブッカー・T&ザ・MG's (Booker T. & the M.G.'s)といった、ブルースやR&Bにのめり込んでいきました。1stアルバムのボーナス・トラックを見る限り、ジェイムス・ブラウン(James Brown)やボ・ディドリー(Bo Diddley)などからの影響も大きかったようです。他に、ビートルズやシャドウズ(The Shadows)など、ロックンロール勢からもインスピレーションを得ていたようです。特にジミー・リードのギター奏法への入れ込み方がすごく、彼の奏法を独自解釈し、ギターから鳴るノイズを音として取り入れるフィードバック奏法を生み出しましました。この奏法はハード・ロックやヘヴィ・メタルなどのジャンルでよく聴かれます。

ちなみにジョンは最初ギターを担当していたのですが、手が大きいからという理由でベースに転向しました。ジョンのベースは「リード・ベース」と揶揄されるほどアクティブなのですが、これは彼がデュアン・エディ(Duane Eddy)のギターを参考にしていたのが原点となります。

ザ・フーとモッズ

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モッズ(Mods)とはモダンズ(Moderns)の略称で、1950年代後半~1960年代に流行った音楽やファッション、ライフスタイルを取り入れた人々のことを指します。第二次世界大戦が1945年に終わり、ちょうどその頃に生まれた世代から少しずつ生活にゆとりが出てくるようになってきたんですね。これまでは生活で手いっぱいだったのですが、ファッションや音楽などのカルチャーにもお金を割けるようになった世代 = 現代的な生き方ということで、モッズ(現代的であること、今風でしゃれていることの意)というムーブメントが誕生したのでした。

モッズはロンドン周辺で発祥したトレンドで、特に有名なのが「モッズ・コート」といわれるミリタリーパーカー(M-51)や細身の軍用コート、ライトをこれでもか!と鬼デコしたヴェスパなどがあります。M-51は1951年に製造された軍用パーカーの名称で、朝鮮戦争などで着用されたそうです。元はアメリカの軍が着用していたものですが、余剰在庫が多いという理由からイギリスへ流れ、そのままファッションとして流行していきました。また、当時はロッカー(Rocker)というモッズと相反する流行もあり、彼らは髪をかき上げていたのに対し、逆に髪を下したヘア・スタイルがモッズ・カットとして定着していました。

音楽的にはR&Bやソウル、ジャマイカのスカを愛聴し、ロックンロールへの関心はそこまででもなかったようです。

当時はモッズが一大ブームで、ザ・フーに就いたマネージャー、ピーター・ミーデンもそこに目を付けました。当時はどのバンドも皆一様にスーツにモッズ・カットでファッションを揃え、統一出していたのですが、ザ・フーもマネージャーの提言でモッズ・ファッションに身を包むようになりました。ついでにバンド名もハイ・ナンバーズ(High Numbers)に変更(モッズたちはいつもドラッグで"ハイ"だったことと、「ストリートでたむろしている者」という意味のスラング"ナンバー"を組み合わせたもの)。

ザ・フー改めハイ・ナンバーズはそのままデビュー・シングルの制作に取り掛かり、シングル"Zoot Suit"をリリースしました。しかし、当時は誰もかれもがモッズ・バンドを自称していたこともあり、そのすり寄りすぎたマーケティング・アピールが疎まれたのか、"Zoot Suit"はチャートインすら叶いませんでした。

そんな折、キット・ランバートとクリス・スタンプという人物が「モッズ・バンドのドキュメンタリー映画を作ろう」として、骨のあるバンドをさがしていました。たまたまハイ・ナンバーズを観た彼らはその圧巻のステージングに惚れ込み、ハイ・ナンバーズのマネジメントをするべく現マネージャーのピーターを引きずり下ろし、正式にマネージャーの座を勝ち取ります。

彼らはバンド名をザ・フーに戻し、EMIのオーディションを取り付けました。そのオーディション自体は失敗に終わったのですが、キンクスのマネージャー・プロデューサーとして知られるシェル・タルミー(Shel Talmy)が目を付けたことで、ザ・フーとしてのデビューが決まります。ちなみに彼らはシェルに気に入られるため、シングル候補として"I Can't Explain"をキンクスに寄せて書き下ろしたそうです。

キットはそんな器用なこともできるピートのソングライティング力を見抜き、レコーダーを2台買い与え、カバーよりも作曲をするよう促しました。1stアルバムからオリジナル曲が大半を占めるのは、そんなマネージャーの尽力があったからだったのですね。

偶然から生まれた<破壊的なステージ・パフォーマンス>

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キースのドラム破壊パフォーマンスは最初からの破天荒ぶりでしたが、それを追うようにピートも楽器を破壊するようになります。

といっても、当初は全くそんなつもりもなく、偶然起こったアクシデントが発端だったんですね。

1964年6月のあるライブで、ピートは天井の低いステージだったことを忘れたままギターを振り回し、結果ギターのヘッド部分を折ってしまいます。観客側から笑い声が聞こえたことにいら立った彼はそのままさらにギターを叩きつけて壊しきり、別のギターを持って演奏を続けました。その破壊的なパフォーマンスが大いに評判となり、ピートはギターを、キースはドラムをライブごとに壊し続けました。当たり前ですが、楽器を壊し続けた結果、ライブの収益は全然残らず、ツアーをやれど全く儲けられない生活が続きます。人気のためとはいえ、たまには落ち着きなよ…、と特に落ち着いた立ち振る舞いをライブ中でも欠かさないジョン辺りは思ってそうですよね。

ザ・フーのライブを観るには

ここまで何度かザ・フーのライブ、ステージングについて言及してきましたが、こればっかりはやはり"観る"のが一番分かりやすいので、ぜひ一度映像でライブを観ることをおすすめします。

最近ではストリーミング・サービスでライブ映像が配信されることも珍しくなく、NetflixやHulu、U-NEXTなどで観られることも多いのですが、海外の音楽ライブに関してはAmazon Prime VideoのQello Concerts by Stingrayが断トツでおすすめです。

ストーンズやザ・フー、レッド・ツェッペリン(Led Zeppelin)にディープ・パープル(Deep Purple)といった60~70年代のバンドはもちろん、マドンナ(Madonna)やビヨンセ(Beyonce)、エイミー・ワインハウス(Amy Winehouse)、ザ・ナショナル(The National)、ミューズ(Muse)など、ありとあらゆる世代、ジャンルのアーティストたちの映像があります。通常のライブ作品同様、一本につき「~2時間半」くらい時間もありますし、十分すぎるくらいの物量もあります。

ザ・フーのライブに関しては「ザ・フー - ライブ・アット・ザ・アイル・オヴ・ワイト・フェスティバル(Live at The Isle of Wight Festival)」にて、1970年当時のライブが観られます。これから紹介する4thアルバムまでをちょうど収めたライブ映像なので、60年代のザ・フーを知るためには最高の素材と言えるでしょう(70年にリリースされた楽曲もあります)。

14日間は無料体験で加入できますし、加入前でも検索はできるので(「Qello Concerts by Stingray アーティスト名」)、まずは観てみたいバンドを探してみると良いでしょう。

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ザ・フーのアルバムざっくり解説

1st. マイ・ジェネレーション(My Generation)

1965年12月3日リリース。ザ・フーの記念すべきデビューアルバムであり、1stにしてこの完成度・演奏力の高さか、と驚かされる作品です。

1stシングル"I Can't Explain"リリースが同年の1月15日、1stアルバムのレコーディングは4~10月と、割とたっぷりの時間を使って作られた本作は、なんと言っても"My Generation"と"The Kids Are Alright"でしょう。時代・モッズを代表する曲であり、現在までのザ・フーの代表曲でもあります。

ザ・フーの初期作は、70年代のパンク・ロック(Punk Rock)に多大なる影響を与えています。瑞々しいまでにフレッシュな演奏はこれまでのバンドにはなかったものですし、ハード・ロックやヘヴィ・メタル、ガレージ・ロックなどの元祖ともされる"My Generation"を代表としたハードなサウンドは、1965年当時から力強く響きました。

レコーディングあれこれ

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"My Generation"の吃音症的な発音は偶然の産物で、元々は吃音のない通常の歌唱でした。何度目かの録音で、歌と演奏が合わなかったのか歌詞が出てこなかったのか、何かしらのハプニングの末に苦し紛れで吃音的な発音で歌ったところ、プロデューサーのシェルが「それ良いね」と言ったことで、現在のバージョンに決定しました。その後何度か録り直したのですが、その際には吃音のブルース奏者ジョン・リー・フッカー(John Lee Hooker)の"Stuttering Blues"を参照しつつ作り上げたそうです。

また、"My Generation"は元々スローなブルース・ソングとして書かれていました。キットのアドバイスを受けて速度を上げ、ジョンのベース・ソロを加え、現在のパワフルなバージョンになりました。ライブではロジャーがめちゃくちゃ歌いづらそうで、そこは普通に歌いなよ、と強く感じました。

キースのドラム録音に関して。シェルはキースのドラミングにいたく感銘を受けたようで、普通は3つのマイクでドラムの録音をするところ、少なくとも今作では12個ものマイクを使って録音したのだとか。ドラムの基本的なセットはバスドラ、タム(3つ)、スネア、ハイハット、シンバル(3つ)の合計9つなので、1パーツにつき1つ以上はついていたことになります。他のバンドと比べてもドラムが生々しく、ラウドに聴こえる理由はこれですね。

アルバムはオリジナルの楽曲が8曲、カバーが3曲という構成ですが、最初に用意していた1stアルバムはカバー多めのものだったそうです。しかし当時の音楽ジャーナリストから「オリジナリティがない」と批判されたことを受け、オリジナル曲を作り、仕切り直したそうです。

金銭等の問題

当時のマネージャーであるキットとクリス、そしてザ・フーは、当時どれだけCDが売れてもライブをこなしても、収入が全くと言って良いほど増えず、苦しい生活を余儀なくされました。というのも、プロデューサーのシェルの取り分が多かったようなのです。そんなわけで収入を確保するため、彼らはシェルを相手取って裁判を起こすのですが、あっさり敗北。著作権も原盤も、先5年はシェルが所有するものとして、しばらくの間金銭面で苦労します(とはいえ、その間も楽器は壊し続けますが)。

キンクスも金銭面で苦労していましたし、シェル・タルミーは守銭奴なのか?と疑問も持ちましたが、というよりも当時の音楽業界ではそれが当たり前の世界だったのでしょう。ロックンロールが大衆に聴かれだした頃ですし、まだまだ基盤が整っていなかったというか。そんなわけで、ザ・フーとシェルの蜜月は今作で終了します。

ちなみに1stアルバムリリース前に、ロジャーがバンドから追い出されています。昔から暴力に物を言わせて黙らせる傾向にあったのですが、ついにキースをボコボコにして気絶させたことで、バンドやマネージャー全会一致で「あいつはクビだ」となったのです。後日「絶対にもう暴力は振るわない」という条件の元に復帰したのですが。この辺りのいざこざもあって、バンドの主導権はピートに寄っていきました。

キースと喧嘩になったのは「キースのドラッグのやり過ぎを止めるため、ドラッグをトイレに投げ込んだ」からです。キースもしっかり悪いんですよね。また、ロジャーは現在まで、ドラッグにほぼ手を付けずにいるのだとか。見た目や声に違わず、実に男らしく責任感の強い男なんです。

2nd. ア・クイック・ワン(A Quick One)

1966年12月9日リリース。今作はメンバー全員が作詞作曲をして、全員がリード・ボーカルを取ったアルバムで、後にも先にもない"民主的な"アルバムです。そういう理由もあって、アルバムとしては一番ごった煮感があり、完成度としては低めと言わざるを得ない作品です。

ザ・フーの基本はピートの作詞作曲なのですが、なぜ今作だけ他のメンバーも積極的に作詞作曲に勤しんだかと言うと、レーベルから「次のアルバム、全員2曲ずつアルバム収録な。できたら印税の前払いをしよう」と提案されたからだったのです(ロジャーは1曲のみの提供に留まりましたが)。

アルバムとしてはそこまでの重要作ではないかもしれませんが、1980年代までのライブ定番曲"Boris the Spider"や初のロック・オペラ(ミニ・オペラ)楽曲"A Quick One While He's Away"など、光るものはちらほらあります。個人的には1曲目の"Run Run Run"が好きです。ピートといえばカッティングが魅力なのですが、2ndからすでに健在。

ミニ・オペラ楽曲"A Quick One While He's Away"

初のロック・オペラ楽曲"A Quick One While He's Away"は、バロック時代の作曲家ヘンリー・パーセル(Henry Purcell)をキットから聴かされ、「2分半の曲を4つ作って、それをまとめて10分につなぎ合わせろ」というアドバイスを受けた結果生まれました(もちろんピート作)。アルバムが完成せず、収録時間にあと10分ほど必要だったときに生まれた、ある種苦肉の策めいた側面もある"A Quick One While He's Away"ですが、結果として今後のザ・フーの行く末を左右する作品になったのは間違いないでしょう。

ちなみに歌詞ですが、ミニ・オペラと称して仰々しくしてあるくせに、その内容は「どした?話聞くぞ?おじさん」的なものでした(彼氏に出ていかれた女性をひたすら口説き続ける、という内容の10分弱)。タイトルの"A quick one"自体、「短時間性交」、「軽い一発」という意味ですし、"The Kids Are Alright"は寝取られの歌、2nd以降リリースされた"Pictures of Lily"はグラビア写真で自慰に耽る歌と、ピートは割としょうもない人物なのかもしれません。

しかし、楽曲自体は素晴らしく、そのライブ・パフォーマンスは圧巻。ストーンズのミックが嫉妬して、自身が撮影していた映像作品をお蔵入りにして公開を取り止めにするほどなのです。

というわけでこちらが、ローリング・ストーンズ主宰の映画作品「ロックンロール・サーカス(The Rolling Stones Rock and Roll Circus)」より、ザ・フーのライブ・パフォーマンス(1968年)。
4分41秒辺りでピートが腕をぶん回してギターを弾いていますが、これはピートが生み出したパフォーマンス「ウインド・ミル奏法」です。誕生のきっかけはストーンズのキース・リチャーズ(Keith Richards)がライブ中に腕を風車のように振り回していたのを見て感銘を受けたからだとか。実際聞いてみると、本人はただのストレッチをしていただけで、パフォーマンスのつもりはなかったため、「じゃあ自分のものにしてしまおう」となったようです。

ギター破壊など派手なパフォーマンスは、実はピートのギター・プレイの自信のなさの表れだったようで、ギターよりも動きを見せることで、腕前をカバーしようとしていたのだとか。ただ、ライブを観れば分かるのですが、彼も普通にめちゃくちゃ上手いんですよね。リード・ベースにリズム・ギターと表現されることもありますが、ライブではギター・ソロも堂に入ったものですし、切れ味抜群のカッティングはめちゃくちゃにかっこいいです。

レーベルの立ち上げ

前作でプロデューサーのシェルと対立・決別したため、今作はマネージャーのキットとクリスが立ち上げた新たなレーベル「トラック・レコーズ(Track Records)」が全面的に関わり、録音されました。金銭面等の管理やレコーディングを自分たちでやってしまおうという、1966年当時としても中々DIYで挑戦的なことをやっています。トラック・レコーズはジミ・ヘンドリックス(The Jimi Hendrix Experience)のシングルやアルバムもリリースしたこともあり、1stの頃よりも金銭面的にはマシになっていきました。

しかし、相変わらずの楽器破壊→新たな楽器を入手のルーティンもあり、まだまだ財政的に苦労が続いたようです。また、楽器はレーベル負担かと思いきや、実際はメンバーが自腹で払うことも多く、マネージャーはこの頃からパーッと豪遊するなど、バンドとマネージャーとの信頼関係は少しずつ、徐々に崩れていったようです。

3rd. ザ・フー・セル・アウト(The Who Sell Out)

1967年12月15日リリース。ここまで年一リリースのペースを保ったまま活動できていて、商業とクリエイティブ両方のバランスが非常に取れているのが伺えます。キンクスより経済的余裕があり、ビートルズよりリリースを急かされていないというか。今作は3枚目のアルバムで、ザ・フーの音楽性がここから変化し始めています。

これまでのハード・ロックを根底に、今作ではサイケデリックやプログレッシブ・ロック、そしてパワーポップの元祖となるような要素も組み込み、全体的にポップで取っつきやすいアルバムになっています。ハード・ロックとしても大分完成された部類に入っていて、前作までの作品と比較しても、音作りから違うのがハッキリと分かるかと思います。

時代はセカンド・サマー・オブ・ラブ。ヒッピーでドラッギー、サイケデリック・ロックが全盛期ということで、ジャンルとしてサイケデリックを取り入れるのはこの年では当然のことですね。また、ビートルズを筆頭に「コンセプト・アルバム」がにわかに流行りだした年でもあり、こちらもご多分に漏れず、『セル・アウト』はザ・フー初のコンセプト・アルバムとなっています。

ザ・フー初のコンセプト・アルバムと「海賊ラジオ」

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アルバムのコンセプトは「海賊ラジオ(Pirate Radio)」。メンバーが特にお気に入りだった「ワンダフル・ラジオ・ロンドン(Wonderful Radio London)」に敬意を払って制作された今作は、アルバムの中に製品のコマーシャルが入っていたり、楽曲と楽曲の間に「~10秒前後の転換用の短い音楽(ジングル曲)」などを挟んでシームレスに楽曲を展開していったりするアルバムで、これは当時のラジオの構成を意識的に再現したようなものになっています。

なぜこのタイミングで海賊ラジオを取り上げたかというと、1967年8月14日の深夜に海洋放送犯罪法が制定されたからなんですね。要するに「国が認めたラジオ以外を電波に乗せて流したら、犯罪扱いになるからね」ということです。

ワンダフル・ラジオ・ロンドンはアメリカはテキサス州在住のドン・ピアソン(Don Pierson)が主宰したラジオ番組です。ドンはテキサス州イーストランドの市長で、イギリスで海賊ラジオを始めたのは"商売になるから"だったんですね。当時のイギリスはラジオ放送局自体が少なく、今売り込めば勝てる!と勝算があったようで、彼は元第二次世界大戦で使用された掃海艇MVギャラクシーからラジオ放送を開始しました。

この辺りの流れは映画「パイレーツ・ロック(原題:The Boat That Rocked)」(2009年作)が時代感や背景含め、雰囲気が分かるのでおすすめです。リチャード・カーティス監督作品で、彼は「ノッティング・ヒルの恋人」や「ラブ・アクチュアリー」、最近では「イエスタデイ」の監督や脚本を務めています。単純に映画としてかなり面白い作品ですし、歴史を知る上で一番取っつきやすいものだと思います。

残念なのが、NetflixやHuluなどのサブスクでは取り扱われていないんですよね。Amazonプライム・ビデオでも吹き替え版のレンタルのみ。どうせなら字幕が良いですし、個人的に推奨するのは廉価版ブルーレイ作品です。

『セル・アウト』のエピソード

作詞作曲は今作でまたピートに主導権が戻りましたが、2,9,11曲目はジョンによって書かれました。これはピートがお願いしたとのことなので、ジョンはコマーシャル・ソングみたいなのが好きだったのでしょうか。

1曲目はサンダークラップ・ニューマン(Thunderclap Newman)というバンドからの提供で、これはピートとキットが見出した新人バンドのものです。ラジオ設定で制作されたアルバムということもあり、外部からの作詞作曲も是としたのでしょう。また、ボブ・ディラン(Bob Dylan)やストーンズとのコラボでも知られるアル・クーパー(Al Kooper)がオルガンで"Mary Anne with the Shaky Hand"と"Rael 1 "に参加しています。

海賊ラジオ・リスペクトということで、今作の中には本物と偽物両方のCMが挿入されました。アルバム内の楽曲で宣伝した「実在する商品」は完全に無許可でレコーディングしたのですが、リリース後にマネージャーらが企業に「広告費」として支払いの催促をしたとか。

アルバムのコンセプトはピートとクリスが発案したとされていて、インタビューなどでも公言しています。海賊ラジオが法的に規制される頃だったので、終わるものを形として残そうという気概はノスタルジーを感じますね。ただ、ザ・フーの学生時代の旧友リチャード・バーンズが言うには、発案者は彼自身だとか。その案をロジャー伝いにピートに伝えたところ、一笑に付されたらしいのですが。リチャードはザ・フーのバンド名を命名したという説もありますし、仲が良かったのは間違いないでしょう。

海賊ラジオは、アメリカの音楽をイギリスに持ち込み、ロックンロールを普及させ、モッズ・ブームを生み出すなど、バンドにとって非常に思い入れの深いものでした。規制が入った後は、BBCが同年、新たにラジオ・チャンネルを7つ開局し、総取りしていきました。パーソナリティには元海賊局だったDJたちを集めたらしいので、その辺りはまだ良心的ですね(どちらにせよ"元海賊ラジオDJ"なのでアレですが…)。

4th. トミー(Tommy)

1969年5月23日リリース。60年代のザ・フーにおいて間違いなく最高傑作であり、ロック史においても重要な作品。個人的にもザ・フーといえばここからで、明らかに気合いが違うのを感じ取れます。

前作から1年半のインターバルを空けての作品で、その間にテレビ番組でキースがバスドラムに仕掛けた火薬で大爆発を起こしてピートの耳に障害が残ったり、オーストラリアの空港でスチュワーデスと揉めた結果「二度とオーストラリアには来ない」と宣言したり、シングル楽曲の売り上げが低迷して「次のアルバムが売れなきゃ解散」の事態にまで落ち込んだり、様々なことがありました。が、やはり今作を語る上で外せないのは、ピートが出会ったインドの導師(グールー)、メヘル・バーバー(Meher Baba)でしょう(ミハーともメハーともされていますが、本記事ではメヘルとします)。

ピートとメヘル・バーバー

メヘルとの邂逅は、『トミー』のアルバム・アートワークを手掛けたマイク・マキナニー(Mike McInnerney)から、メヘルの書籍を渡されたことが発端でした。メヘルは人生観として「創造→進化→生まれ変わり→退化→悟りを開く」と説き、それに感銘を受けたピートは、主人公トミーにメヘルの人生観と同じ流れを持たせた人生を歩ませます。また、ストーリーや設定には大幅に余白を持たせ、どのようにでも解釈できるようにしました。

『トミー』はそんなメヘルの教えに没頭していた頃に書いたもので、ストーリーがある程度完成した頃に、メンバーにアルバムの世界観や精神性、人生観などを説明し、了承を得てアルバム制作に取り掛かるようになったのです。

ポップスからの脱却

『トミー』はザ・フー初の2枚組アルバムで、ロック史上最も有名な「ロック・オペラ」作品です。今作におけるピートの作曲への熱量は尋常ではなく、彼はまず、当時のポップスの標準的フォーマットだった「3分間の楽曲」からの脱却を図りました。キットはそれに応え、お互いに議論を交わし続け、その中で「ロック・オペラ・アルバムを作ろう」と話が決まります。

そして、前作で学んだ「アルバム単位で楽曲をシームレスに聴かせる」手法と、2ndアルバム収録の"A Quick One While He's Away"のような「別々の楽曲を組み合わせ、1つの曲にする」手法をアルバム丸ごと適応させたことで、これまでとは全く違うアルバムが誕生したのでした。

今作でマネージャー陣は、ブラスやオーケストラの導入を望みましたが、バンド(特にピート)が「これはロック・オペラ。ロックであるべきだし、バンドでできる範囲でないと嫌だ」として拒否。とはいえ、レコーディングに半年も費やしたり当時の厳しい財政状況だったりの理由もあり、結局バンド・メンバーのみで制作が続行されました。ちなみにホルンはジョン、キーボードやバンジョーはピートが担当しています。

アルバムではオーケストラは入りませんでしたが、後のミュージカルやコンサートなどではオーケストラでの演奏が主ですし、豪華な『トミー』が聴きたければロンドン交響楽団による『トミー(Tommy as Performed by The London Symphony Orchestra and Chambre Choir with Guest Soloists)』を聴きましょう。

『トミー』概要

『トミー』のストーリーは、2枚組のうち1枚目が

  • Overture:イギリス陸軍のキャプテン・ウォーカーは、戦争の遠征中に行方不明となり、そのまま亡くなったとされました。
  • It's a Boy:彼には妻がいて、お腹には新たな命が宿っていました。
  • 1921:トミーが生まれて数年後、キャプテン・ウォーカーは無事家に帰ることができたのですが、妻には新たな恋人がいました。キャプテンと新たな恋人は口論となり、新たな恋人は殺害されてしまいます。その凄惨な現場を目撃したトミーの精神を守ろうと考えた母は、トミーを「お前は何も見えない、聞こえないんだよ」と言い聞かせ、精神的に耐えられなかった彼は三重苦(話せず、聴覚障害で盲目)になってしまいました。
  • Amazing Journey / Sparks:何も分からなくなったトミーは、己の内面と向かい、沈黙の中、内省をします。
  • The Hawker:母はトミーがここまでのことになると思っていなかったのか、医者を探したのですが、やぶ医者に引っかかり続け、
  • Christmas:やがてどうでも良くなっていきます。
  • Cousin Kevin:そしてトミーを従兄弟のケヴィンに預けるようになるのですが、ケヴィンはトミーに虐待・拷問を加えます
  • The Acid Queen:ドラッグも盛られ、
  • Underture:幻覚体験も引き起こすなど、三重苦を理由にされるがままでした。

2枚目が

  • Do You Think It's Alright? / Fiddle About:トミーは叔父のアーニーに預けられますが、叔父からは性的虐待を受けます。
  • Pinball Wizard:トミーは年齢を重ねるうちに、触覚が発達していき、ピンボールのエキスパートになっていきました。
  • There's a Doctor:その頃ようやくトミーに関心が戻った両親は、高名な医者へ連れていき、「精神的なものです」と診断されます。
  • Go to the MIrror!:医者からは「鏡に向かい、己を見つめなさい」と言われ、両親にされるがまま、トミーは鏡と向き合います。しかし盲目である彼に鏡は見えません。
  • Tommy Can You Hear Me? / Smash the Mirror:返事を求めても何も返してこない彼に業を煮やした母は、衝動から鏡を割ります。
  • Sensation / Miracle Cure:すると、トミーの精神は解放され、三重苦から回復。世間に知られ話題になります。
  • Sally Simpson / I'm Free:そのストーリーから多くの人に支持され、宗教家となり、リーダーとして信者を扇動、熱狂の渦の中、
  • Welcome / Tommy's Holiday Camp:自宅を教会とし、ホリデーキャンプを開設します。
  • We're Not Gonna Take It:最終的にはその宗教、キャンプは失敗に終わり、周りには誰もいなくなります。トミーは三重苦だった頃と同じように、内省に入るのでした…("See me, feel me")。

となっています。

トミーのストーリーはメヘル・ババの教えを体現したものでもあり、ピートの実体験を多分に盛り込んだものでもあるため、半自伝的な要素も含みます。

ピンボールの魔術師は最初存在しなかった

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シングル・カットされて全英チャート4位まで上昇した、ライブでも定番の人気曲"Pinball Wizard"は、当初制作すらされていませんでした。『トミー』は一応の完成を見せ、あとはミキシングやマスタリングなどの追い込み作業に入ろうかという1969年2月の頃、当時新聞社の音楽批評家ニック・コーンとピートは仲が良く、合間を縫ってはピンボールに興じていました。

いつものようにピンボールを楽しんだある日、ピートはニックに『トミー』を聴かせます。アルバムのリリース前に、友人として意見を聞きたかったのでしょう。すると彼は「オペラ部分は良いけど、ストーリーにユーモアがないかな。堅苦しすぎるよ」と言い、ピートはそれに対して「じゃあトミーをピンボールのチャンピオンにするよ。」と返したことで、"Pinball Wizard"が誕生したのでした。

録音や作曲あれこれ

ピートはギターを担当していますが、1967年頃からピアノを学び始めました。今作ではピアノでの作曲も多く、それもあってこの頃からギター・ソロなどのパートが減ったのではないかと考えられます。ザ・フー自体、バンド全員がバンド・アンサンブルを重視する傾向にあるため、この変化は非常に大きいものがあるのではないかな、と。

今作から8トラックでの録音になりました。特にゲストも呼ばずに4人だけで制作されたアルバムですが、コーラス・ワークやキーボード、ピアノの導入もあり、多分今作からライブ録音ではなくなったのかな?音もきれいですし、ドラムが片側からしか聴こえない楽曲も中にはあるので。

アルバム未収録の先行シングル"Dogs"は商業的に失敗。ライブは好調ですが、依然として楽器代がかさばり続け、この頃が一番経済的に困窮していたとか。今作『トミー』が売れなかったら解散することになっていたかもしれなかったそうです。『トミー』のチャート結果はというと、初登場2位。惜しくもボブ・ディランのアルバム『ナッシュビル・スカイライン(Nashbill Skyline)』に1位の座を保持されてしまいましたが、過去最高の位置にチャートインしたこともあり、解散の機器を脱しました。というか、これまでザ・フーはチャート1位を取ったことがなかったというのが意外でびっくりしています。

ちなみに3曲目"Eyesight to the Blind(The Hawker)"はソニー・ボーイ・ウィリアムソン(Sonny Boy Williamson Ⅱ)の楽曲"Eyesight to the Blind"のカバーです。聴き比べれば分かりますが、同じなのはほとんどボーカルと歌詞のみです。

おわりに

今回でひとまず1960年代のバンド(個別)の紹介を終了します。

次回からは1960年代に生まれた音楽ジャンルやムーブメント、代表的なアーティストなどを取り上げ、それが終わったら1970年代のバンド・アーティスト(個別)に取り掛かろうと思います。

たった4バンドですが、UKロックへの理解は驚くほど深く進み、最初に書いたビートルズの適当さに呆れています。書き直したい気持ちは重々ありますが、それよりもまずは先に進めたい。次の世代の音楽を早く聴きたい!ということで、書き直すのはまたいつか。