ざっくり解説

【ざっくり解説】1960年代のザ・キンクスの歴史とアルバム7枚

ビートルズ(The Beatles)、ローリング・ストーンズ(The Rolling Stones)と続けばもちろん次はザ・キンクス(The Kinks)(以下、基本的にキンクス)です。その次はザ・フー(The Who)。実はリリース順。改めてこの年代の音楽を聴いてますが、個人的に一番好きなのはキンクスだと実感しています。

1996年に解散したのですが、2018年に再結成をして2020年にアルバムをリリース予定。…だったはずが、その後音沙汰はないようですね。2019年時点では2020年にアルバムをリリースにするつもりだったようですし、コロナの影響で延期になった、と考えるのが自然かもしれません。続報を待て!ということで、気長に待ちましょう。

キンクスも歴史が長く、1963〜1996年の間活動し、その間リリースしたアルバムは24枚。全て一気にやるのは途方もなく長いことになるので、ストーンズ同様、キンクスも1960年代、70年代…と区切っていきます。というわけで本記事では【キンクスの結成〜1969年まで】、ざっくりと解説していこうと思います。

※アルバムは『』でくくり、楽曲は""でくくります。アルバムはカナ表記等ありますが、楽曲は英表記のみに留めさせていただきます。

キンクスの軌跡

まずはこちらのプレイリストを。60年代キンクスの重要曲とおすすめ曲を良い感じにミックスしています。

キンクスとは。メンバー紹介

キンクスは、1964年にロンドン北部のマズウェル・ヒルにて、レイ・デイヴィスとデイブ・デイヴィスによって結成されました。1960年代のUKロックを代表するバンドの1つですね。

彼らが1stアルバムをリリースしたとき、なんとまだ20歳になりたての頃でした。デイブに関しては17歳(!)。世代的にはビートルズやストーンズと同じくらいですが、キンクスの方が2~3年程度若い分、初期の頃は音楽的にもよりフレッシュな印象を受けます。

1960年代キンクスのメンバーは、基本的には以下の4人。

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L→R:デイブ、レイ、ピート、ミック

  • レイ・デイヴィス(Ray Davies) / Vo, Rhythm Gt
  • デイブ・デイヴィス(Dave Davies) / Lead Gt, Vo
  • ピート・クウェイフ(Pete Quaife) / Ba, Vo
  • ミック・エイヴォリー(Mick Avory) / Dr

ベースが後にジョン・ダルトン(John Dalton)に変わることになります。66年にピートが怪我で入院したときに代役として一度参加し、その後69年に正式加入。以降、70年代キンクスを支えていくことになります。

それ以外にもボビー・グラハム(Bobby Graham)、ニッキー・ホプキンス(Nicky Hopkins)、クレム・カッティーニ(Clem Cattini)らはたびたびアルバム・クレジットで名前を目にすることがありますが、彼らはサポート・メンバー的な立ち位置となっています。

キンクスの音楽性

初期の3枚まではディストーションの効いた爆音のギターとそのリフが特徴的で、これらを総称して"キンキーサウンド"と呼ばれていました。"You Really Got Me"や"Come On Now"、"Where Have All The Good Times Gone"など、当時としては荒く攻撃的な楽曲が見られ、特に"You Really Got Me"はハード・ロックやヘヴィ・メタルの元祖の1曲とされています。

3枚目から徐々にR&B、フォーク、バロック・ポップやミュージカル要素を取り込んでいき、"ロック・オペラ"という、一貫したテーマを持つアルバムを制作していくようになります。

ハード・ロックの元祖となる曲を生み出したバンドとしては、割と迷走と取られそうな舵取りですが、キンクス全盛期は音楽性が変わった頃から始まります(商業的にはめちゃくちゃ迷走しますが…)。この音楽性の変化は、アメリカ進出に失敗したことと並行して変貌を遂げるのですが、「だからこそキンクスはUKで愛されてるのだな」というのが分かるかと思います。長くなるのであとでじっくり後述していきますが。

バンド名の由来

どのバンドも一発で名前が決まる、ということがないように、キンクスもまた紆余曲折を経て決まりました。

最初に組んだバンドは中学生の頃で、デイヴィス兄弟と幼馴染のピート・クウェイフ、ピートの友人の4人で「レイ・デイヴィス・カルテット(Ray Davies Quartet)」と名乗り始めました。その後大学に進学した頃、「ラムロッズ(Ramrods)」に変更し、「レイヴンズ(Ravens)」になり、一度「レイ・デイヴィス・カルテット」に戻り、最終的に「キンクス(The Kinks)」に落ち着きました。

キンクスの意味は「ねじれ」という意味なのですが、俗語として「変態」という意味を持ち合わせています。メンバーもあまり気に入ってなく、特にレイは「このバンド名を一度も気に入ったことがない」と断言しています。ならなぜ変えなかったのか…という疑問もありますが、レーベルやマネージャーの意向だったのでしょう。マネージャーたちは「あえて奇抜な名前にすることで、注目を集めよう!」と画策していたとされています。

今も昔も、UKロックには「ザ・○○」というバンド名が多いですよね。The Beatles、The Kinks、The Clash、The Cure、The Stone Roses、The Libertines、The 1975…。

キンクスが受けた音楽的影響

主要な影響元はビートルズやストーンズと同じくアメリカのR&Bやロックンロール、イギリスのスキッフルなどが挙げられます。アーティストで言うと以下でしょうか。

  • チャック・ベリー(Chuck Berry)(ロックンロール)
  • ボ・ディドリー(Bo Diddley)(ロックンロール)
  • スリム・ハーポ(Slim Harpo)(ブルース)
  • ドン・コヴェイ(Don Covay)(R&B)
  • リトル・リチャード(Little Richard)(ロックンロール)

段々と牧歌的な音楽性になっていき、60年代の最後にはロック・オペラと呼ばれる"ストーリー性の高いアルバム"を制作するのですが、これはレイがホーンジー芸術大学に通っていたことが起因しているのではないかと思われます。彼は大学で、音楽だけでなく映画、スケッチ、演劇などにも関心を向けていました。

また、大学在学中に「ブリティッシュ・ブルースの父」アレクシス・コーナー(Alexis Korner)と出会い、彼の紹介でソーホー(ロンドン)拠点のデイヴ・ハント・バンドやシリル・ステイプルトン・バンド(Cyril Stapleton Band)などに参加し、R&BやJazzに傾倒。この辺りの素地があったため、オーケストラをバンドに持ち込むことに抵抗が薄かったのもありそうです。

キンクスのアルバムざっくり解説

1stと2ndはキンキーサウンドを語る上で必須なアルバムではありますし、この時点でアルバムがほぼオリジナル楽曲で構成されているのですが、やはりそれ以降に続くアルバム群と比較すると、どうしても優先順位は下がります。というわけでよりざっくりとした解説になります。

1st、2nd

1st. ザ・キンクス(The Kinks)

1964年10月8日リリース。ビートルズが4th『ビートルズ・フォー・セール』、ストーンズが2nd『No.2』をリリースする少し前に出ました。14曲中8曲がオリジナル、残りがカバーの、キンクスの記念すべき1stアルバム。

デビューしてすぐキンクスは追い込まれていて、2ndシングルまで("Long Tall Sally"と"You Still Want Me"。どちらもアルバム未収録)ほぼチャートインすることがなく、契約を打ち切られそうになっていました。

レーベルからの圧が入る中、チームでこれまでの失敗を相談しあい、「音がきれいで上品すぎる」と判断します。そこで「もっとソリッドで激しい楽曲を作ろう」となり、"You Really Got Me"が生まれました。収録当初はレーベルの意向で「もっときれいでゆっくりとした楽曲」になるはずだったのですが、レイがそれを拒否。プロデューサーのシェル・タルミーと共に、現在のバージョンを収録。爆発的なヒットにつながります。

"You Really Got Me"はハード・ロックとヘヴィ・メタル、ガレージ・ロックの元祖の1曲とされ、のちにヴァン・ヘイレンらによってカバーされ、その都度再評価されるようになります。

ここでキンキーサウンドが生まれたのですが、当時は歪み系のエフェクターがなかったため、ディストーションなどの効果は存在しなかったんですね。その代わりとして、デイブがアンプのスピーカーコーン(音が出るとこ)をカミソリで切り刻み、無理やり歪んだ音を作り出しました。こういったDIY精神が、のちのパンクスたちにも影響を与えました。

また、この楽曲はアメリカのブルースマン、ザ・キングスメン(The Kingsmen)の"Louie Louie"から強く影響を受けています。

ちなみに、シングルリリースされた”All Day and All of the Night”(アルバム未収録曲)(1964年リリース)は、ザ・ドアーズ(The Doors)の"Hello, I Love You"(1968年リリース)と激似で、裁判にもなったそうです。ドアーズ側は「クリーム(Cream)の"Sunshine of Your Love"からインスピレーションを受けたけどね」と答えています(結局レイに楽曲使用料を支払うことになったのだとか)。

また、今作はレッド・ツェッペリン(Led Zeppelin)のジミー・ペイジ(Jimmy Page / Gt)が6、12曲目("I'm a Lover Not a Fighter"と"I've Been Driving on Bald Mountain")で12弦アコースティック・ギターで参加。ディープ・パープル(Deep Purple)のジョン・ロード(Jon Lord / Key)が9曲目("Bald Headed Woman")でピアノ、オルガンで参加しています。

2nd. カインド・キンクス(Kind Kinks)

1965年3月5日リリース。この頃ザ・フーやスモール・フェイセズなどがモッズ("Mods"=Modernsの略)と呼ばれていて、キンクスもモッズ・バンドの一つとされていました。個人的にモッズはジャンルでもムーブメントでもなく、ライフスタイル、ファッションと捉えるのが正解と思っています。生き方・姿勢といいますか。モッズ・バンドというのも、いわば彼らモッズらにとってのBGMのようなものだと解釈していただければ良いのかな、と。

さて、1stアルバムリリースからツアーに明け暮れるキンクスですが、ウェールズはカーディフにて、ミックとデイブがライブ中に喧嘩を始めてしまいます。ステージでデイブは気絶し、殺してしまったと早合点したミックはその場から逃走。ツアーによる疲れ、メンバー間の喧嘩など、この頃からバンド内は張り詰めた空気が漂うように(早い)。

また、彼らはライブ中大暴れすることで有名で、その危険なステージングがアメリカで反感を買い、米国音楽家連盟から「今後4年間、キンクスはコンサート出演を禁ずる」とされました。事実上アメリカでの活動を禁じられた、ということですね。

2ndアルバムのツアーの最中、インドのボンベイにてレイは"See My Friends"を書き上げました。これが初めてインドの楽器が使われたイギリスのロック・ソングの1つとされています。ザ・フーやビートルズなどもキンクスのこの曲に触発されてインドの楽器を手にするようになったのだとか。

2ndアルバムは、楽曲的には1stよりも手応えを感じたそうです。しかし、レコード会社からの圧力もあり、早期リリースをせざるを得なくなり、ミックスの時間を大幅に削ることになったとか。ライブ感といえば聞こえは良いですが、"Nothin' in the World~"や"Something Better Beginning"などのように、フォーキーなバラード曲も入るようになった頃にそれが正しいかというと、疑問と言わざるを得ません。

3rd. キンク・コントラヴァーシー(The Kink Kontroversy)

1965年11月26日リリース。2ndアルバムからわずか8ヶ月と20日ほどと、やはり高速スパンでのリリース。60年代前半というのはそういう時代だったのでしょう。1曲目以外は全てオリジナル曲。

キンクスの音楽性は過渡期を迎えていて、キンキーサウンドからフォーク・ロックへの変化、というのがアルバム丸ごと通して伝わってきます。2ndアルバム以降リリースされたシングル"A Well Respected Man"や"Dedicated Follower of Fashion"など、ロック・サウンドではありつつもどこか牧歌的なフォーク・ロックな音楽性へと徐々に変化していきました。今作ではまだ"変わろうとしている"、といった段階でしょうか。

今作からキーボードのニッキー・ホプキンスが6th『ヴィレッジ・グリーン』まで参加することになるのですが、彼の影響は決して小さくはないでしょう。

そしてここからレイのストーリーテリングか開花し始めるのもポイントです。身近な愛、日常を描いた歌詞はこの頃からのようですね。それまではラブソングが大半を占めていて、そういう意味では今作もその範疇ではあるのですが、今作では"Where have all the good times gone?"や"I'm On the Island"などで歌われているように、喪失をテーマにして楽曲もあります。これらが悲しいバラード調ではなく普通に明るい楽曲な辺りからも、英国的皮肉感が感じられて良いですね。

ちなみにこの頃からレイはツアーに作詞作曲、それらの著作権の法的争い問題など、様々なプレッシャーにさらされ、肉体的にも精神的にも苦しい時期でした。

4th. フェイス・トゥ・フェイス(Face to Face)

1966年10月28日リリース。前作よりおよそ1年の期間を空けてのリリースということもあってか、ここからキンクスの音楽性がガラッと変わり、そして「これがキンクス」という個性が爆発しだします。位置付けとしては、ビートルズの『ラバー・ソウル(Rubber Soul)』、ストーンズの『アフターマス(Aftermath)』といったところでしょうか。キンクスの黄金時代はここからであり、それは1971年まで続きます。

今作はなんと言っても"Sunny Afternoon"が収録されているのがポイントですね。1966年の夏、イギリスで最大のヒットを記録した楽曲であり、ビートルズの"Paperback Writer"を蹴落として1位の座に輝きました。

また、今作の収録中、ベースのピートが自動車事故に巻き込まれ、入院を余儀なくされます。そこで代役の白羽の矢が立ったのがThe Mark Four(ザ・マーク・フォー)というバンドで活動していたベーシストのジョン・ダルトン(John Dalton)でした。彼のベースは"Little Miss Queen of Darkness"と"Dead End Street"、"Big Black Smoke"で聴くことができます。ピートが復帰したらまた抜けることになるのですが、1969年のアルバム『アーサー(Arthur)』で正式に加入することになります。

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L→R:ミック、レイ、デイブ、ジョン

前作より、ソング・ライティングに磨きがかかり、ただの恋愛ソングだけでなく、イギリス人の日常生活や労働階級の人々についての物語について書くようになり、それが批評家から非常に好評を得ました。世の中を皮肉った観察眼に社会風刺は、レイおよびキンクスのブレイクのきっかけであり、ブラー(Blur)やアークティック・モンキーズ(Arctic Monkeys)など、後のUKロックを背負うバンドたちにも絶大な影響を与えていくのでした。また、ニッキー・ホプキンスの貢献も大きくなり、キーボードだけでなく、ピアノやチェンバロ(ハープシコード)といった鍵盤楽器がよく聴かれるようになりました。

ちなみにアメリカではチャート135位までしか伸びず、1st以来アメリカでのライブができていない効果が如実に表れる結果となってしまいました。

今作未収録ですが、リリースされたシングル"Dead End Street"でキンクス初のPVが制作されました。

今作はロック最初期のコンセプト・アルバムの一つではありますが、「社会観察」というゆるいテーマを基に制作されています。元々、レイはこのアルバムの楽曲を全て効果音で繋げて1曲になるように作ろうとしていましたが、レーベルの意向で断念せざるを得なかったようです。実質的にコンセプト・アルバムとしての要素は弱いものと思われますが、その思いは次々作『ヴィレッジ・グリーン』で結実することになります。

5th. サムシング・エルス(Something Else by the Kinks)

1967年9月15日リリース。僕は今作が一番好きです。

前作は"Sunny Afternoon"がヒットしましたが、今作はキンクス最高傑作"Waterloo Sunset"が収録されています。「イギリス人、心の楽曲ベスト10」とかアンケート取ってみたらかなり上位になりそうな曲です。この曲の特徴は、サウンドにディレイエコーが採用されている点でしょう。1950年以降、ほとんど使用されたことがないこともあり、逆に新鮮に聴こえたようです。All Musicからも「おそらくロックンロール時代の最も美しい歌」と評されるほどの名曲なので、ぜひ一度、聴いてみてください。

前作『フェイス・トゥ・フェイス』から音楽的に大幅に変貌を遂げました。特にミュージック・ホールからの影響が強く伺え、ジャンルとしてもバロック・ポップ(Baroque Pop)という管楽器や鍵盤楽器など、クラシックで使われていたような楽器をふんだんに持ち込むようになりました。

当時は1967年ということもあり、ビーチボーイズ(The Beach Boys)の『ペット・サウンズ(Pet Sounds)』やビートルズの『リボルバー(Revolver)』など、実験的なサイケデリック・ロックからの影響も小さくなかったでしょう。特にビーチ・ボーイズのコーラス・ワークはここからしばらく大きなインスピレーションになったのではないでしょうか。

今作はキンクスの最高傑作のひとつとして挙げられることも多い作品ですが、当時は「初期キンクスのベスト盤のようなコンピレーション・アルバム」が同じ時期にリリースされたこともあり、商業的には失敗しています。アメリカでも出禁状態なため、結果を出せずにいました。

権利問題やこうした売り上げの低迷もあり、今作がマネージャーでありプロデューサーでもあったシェル・タルミーの最後の作品となります。しかも今作に関しても、実質的に「名前がクレジットされているだけ」と捉え、レイ・デイヴィスによるプロデュース作品という解釈が正しいのかもしれません。どの時期に抜けたかは分かりませんが、最終的にレイがアルバムの舵取りを行ったのは間違いないのですから。

また、今作がリリースされる少し前に、ビートルズが『サージェント・ペッパー(Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band)』をリリースしました。この時期から、シングルではなくアルバムの時代へとシフトしていくのです。コンセプト・アルバム以前は「シングル」の時代でした。大衆受けするシングル曲を聴き、それら人気曲だけ知っていれば良い、という感覚が共通して持たれていたようです。だからストーンズなんかは、シングルで"(I Can't Get No) Satisfaction"や"Jumpin' Jack Flash"など、勢いのある楽曲をシングル・カットしたのでしょう。

今作はバロック・ポップというジャンルへ舵取りしたアルバムと先ほど言いましたが、ある種『短編集』のような作品だといえます。従来のフォーク・ロックやロック、トレンドのサイケデリックを持ち込みつつ、ボサノヴァまで取り込むという煩雑っぷり。しかしそのどれも無理なくキンクスになっているというか。90年代の一大ムーブメント、ブリットポップ(Bitpop)の素地はここで形成されたように聴こえます。

全体的にゆるくだらしない感じがUKロック的で、アメリカでは良くも悪くもこんな音楽作れないだろうなと思います。ゆるくレイドバックしたこの感じが良いんですよね。

6th. ヴィレッジ・グリーン・プリザヴェイション・ソサエティ(The Kinks Are the Village Green Preservation Society)

1968年11月22日リリース。キンクスの長い歴史の中でも"最高傑作"の呼び声高い名盤。前作『サムシング・エルス』の音楽性そのままに、コンセプト・アルバムとしての強度を高めたような完成度の高いアルバムとなっていて、イギリスのロックの"型"をもうここで決めてしまったかのような確度を誇ります。タイトルは長すぎるので『ヴィレッジ・グリーン』と略しましょう。

今作も「イギリスの伝統的な生活や風景、世代に渡って巡る人生」をコンセプトに制作されました。正直なところ、僕は今までほとんど歌詞を見ずに洋楽と親しんできたため、この辺りの認識は薄めです。"ざっくりシリーズ"を書き始めてようやく歌詞に目を向け始めたので、いまだ未熟です。今後徐々に項目として増やしていけたらと思います。

歌詞はそれとして、アルバムの楽曲としてのまとまりは、これまでのアルバムと比較しても明らかに向上しているのが分かります。アルバムの総合評価という点で考えると、1960年代キンクスの中では1番であると言い切ってしまっても良いほどです。

そこまでの完成度を誇る今作ですが、完成まで紆余曲折ありました。まず、当初は20曲入り2枚組のアルバムとしての制作が考えられていたんですね。しかし前作以前のアルバムの売り上げが悪かったためにレーベルの許可が下りず、12曲入りのバージョンをリリースすることになりました。

これは9月にヨーロッパ圏でリリースされたのですが、レイはやっぱり納得がいかなかったのか、一度販売を打ち切ります。そして11月、イギリスで正式に現在の15曲入りバージョンがリリースされることになりました。

こういったいざこざもあり、まともな宣伝もできないままに世に出たアルバムということもあって、売り上げは今回も低迷。当時は10万枚が売れたとのこと。同日にはビートルズが『ホワイト・アルバム』をリリースし、4日以内に店舗に330万枚行き渡ったそうなので、規模感から"セールスの圧倒的敗北"が伺えます。

また、1968年は音楽的に発展していた時代でもあります。サイケデリック・ロックが当時一番のムーブメントとなっていて、他にクリーム(Cream)やディープ・パープル(Deep Purple)などのハード・ロック、ピンク・フロイド(Pink Floyd)やムーディ・ブルース(The Moody Blues)らプログレッシブ・ロックなど、次の世代のロック・バンドたちが生まれだした時期でもありました。

新しい音楽をみんながこぞって手を付けているときにキンクスは"フォーク・ロック的サウンド"。うーん、ちょっとズレてる笑。こういうズレがキンクスの魅力であり武器でもあるわけですが…。

それでもこのアルバムが長く愛されることになった理由として、やはり普遍的なものを扱っていることが大きいんでしょうね。その時々の流行りに乗ることも大事ですし、時代をパッケージングするという意味では重要な役割もありますが、永遠の名盤というのは本質を捉えるというか。見ている世界が違ったということでしょうか。

とはいえ、キンクスがここまでイギリスの生活に目を向けたのは、やはりアメリカ進出できない状況だったというのが大きいのではないかと思います。また、この時期レイは初めて妻子を持つことなったため、人生についてより深く内省することが増えたのかもしれません。

7th. アーサー、もしくは大英帝国の衰退ならびに滅亡(Arthur (Or the Decline and Fall of the British Empire))

1969年10月10日リリース。今作はテレビ・ドラマ『アーサー』のサウンド・トラックとして制作されました。ジュリアン・ミッチェル(Julian Mitchell)という劇作家・脚本家とレイとの共作でドラマの脚本が手掛けられたのですが、結局頓挫し、アルバムだけが残ったのだとか。

今作は"ロック・オペラ"と呼ばれる類いのアルバムです。ロック・オペラは「アルバムの中で物語があり、完結している」もので、コンセプト・アルバムとは少し違います。コンセプト・アルバムは「アルバム全体の音楽的な統一感を重視したもの」であり、楽曲内の物語は曲単位で完結しています。ロック・オペラは物語がアルバム単位でつづられる、一種の短編小説のようなものです。

元祖のロック・オペラ・アルバムは1968年12月にリリースされた、ザ・プリティ・シングス(The Pretty Things)の『S.F.ソロー(S.F. Sorrow)』とされていますが、アルバムとしてのストーリー性がそこまでに至っていないとされ、実質の元祖はザ・フーの『トミー(Tommy)』(1969年5月)とされています。ちなみに『アーサー』は『ヴィレッジ・グリーン』(1968年11月リリース)より以前から制作を開始していたため、実質的な元祖は『アーサー』と言えます(言えません)。

『アーサー』のストーリー(というか設定)をざっくり説明すると、

  • アーサー・モーガンはロンドン郊外のシャングリ・ラという家に住んでいる
  • 引退・隠居していて、庭と車、ローズという妻に息子デレクがいる
  • デレクには妻リズがいて、2人の間にはテリーとマリリンという子供たちがいる
  • デレク一家はオーストラリアへ移住しようとしている
  • アーサーには戦死したエディという息子もいる

こんな感じでしょうか。歌詞と照らし合わせながら読み解いていくと面白そうですよね。

レイの姉であるローズが夫のアーサー・アニング(Arthur Anning)とオーストラリアに移住した事実を題材にストーリーが構成されました。アーサー・モーガン(Arthur Morgan)のモデルは、いわずもがなアーサー・アニングですね。

音楽的な変化といえば、やはりベーシストであるピート・クエイフの脱退、ジョン・ダルトンの加入が大きいでしょう。

ジョンはアルバム『フェイス・トゥ・フェイス』で一度代役として加入した、気心しれたメンバーなので、彼が加入したことで変な波風は立たなかったとは思いますが、ここでついにキンクスのオリジナル・メンバーがいなくなってしまいます。個人的に『ヴィレッジ・グリーン』でのピートのベース・プレイが特に好きだったので、全盛期の頃に脱退かぁ~と考えると非常に残念でならないです。とはいえ、『アーサー』で新加入したジョンのベースも普通にめちゃくちゃ良いんですよね。

『フェイス・トゥ・フェイス』の頃は交通事故による入院が理由でそのまま脱退しかけましたが、今回は新バンド結成までして抜けようとしたこともあり、本気でバンドに嫌気が差していたのでしょう。脱退理由は音楽性の不一致と、バンド(というかレイとデイブの)パワーバランス問題のいざこざに巻き込まれたくなくて、の2つが挙げられます。

アルバム・クレジットとして、アルバム本編はジョンが担当。ボーナストラックのいくつかをピートが担当しています。今作からベースはジョンのものになっている、というわけですね(Genius参照)。

音楽性の変化としてもう一点。『フェイス・トゥ・フェイス』以降、フォーキーなロックを展開して、キンキーサウンドが鳴りを潜めていましたが、今作からロック路線に回帰しています。

『サムシング・エルス』以降際立って魅力的だったコーラスワークもさらに強力になり、オーケストラ、ブラス・サウンドの豪華かつ緻密に鳴り響き、これまでのキンクスと比較してもきらびやかでよく練られたアルバムになっています。ドラマのサウンド・トラックを念頭に置いていたから、という理由もありそうですね。個人的にもかなり上位に好きなアルバムです。

そして、今作リリースの半年ほど前、ようやくアメリカでのツアーが再開できるようになりました。およそ5年の出禁が解除され、ツアー解禁というのはアルバムの売り上げが低迷していたキンクスにとって悲願だったことでしょう。…結局今回企画された北米ツアーは失敗に終わったようですが。キンクスはつくづく商業的に愛されないバンドですなぁ…。

ちなみにピートはその後メイプルオーク(Mapleoak)というカナダ人2人、イギリス人2人の4人組バンドを組みましたが、まもなく脱退。70年代はデンマークで過ごし、80年以降はカナダでグラフィック・アーティストとして従事し、最終的に2010年にデンマークで生涯を終えました。死因は腎不全だったとのこと。

おわりに

ガレージ・ロック、ハード・ロックの元祖となるような楽曲からキャリアをスタートさせ、わずか2年後には今のUKロックを知る上で欠かせないバンドレベルの音楽性を発揮し、プログレッシブ・ロックに呼応するようにロック・オペラ作品をリリース。これがたった6年の間に行われたということで、当時のブリティッシュ・ロック・バンドが未だに話題にあがり続けるのも納得ですなぁ…。

70年代にはどのような音楽性に変わっていくのか、商業的に成功するのか。気になることは尽きませんが、今回の記事では一旦ここまで。

最後にライブ映像と年表を。

1960年代キンクス年表

  • 1964年10月8日:1stアルバム『ザ・キンクス(The Kinks)』リリース
  • 1965年3月5日:2ndアルバム『カインド・キンクス(Kind Kinks)』リリース
  • 1965年:米国音楽家連盟からコンサート出演を禁じられる。アメリカ進出が事実上の失敗
  • 1965年7月30日:初めてインドの楽器が使われたイギリスのロック・ソング"See My Friends"誕生
  • 1965年11月26日:3rdアルバム『キンク・コントラヴァーシー(The Kink Kontroversy)』リリース
  • 1965年~:6thアルバムまでキーボードのニッキー・ホプキンスが参加。直接的な音楽的影響アリ
  • 1965年:アメリカ進出できなかったので、地元イギリスに目を向け、より内省的な楽曲が生まれるようになる
  • 1966年6月:ピート・クウェイフが交通事故で入院。一時脱退
  • 1966年10月28日:4thアルバム『フェイス・トゥ・フェイス(Face to Face)』リリース
  • 1966年:マネージャーでありプロデューサーでもあったシェル・タルミーがキンクスのプロジェクトから脱退
  • 1967年9月15日:5thアルバム『サムシング・エルス(Something Else by the Kinks)』リリース
  • 1968年11月22日:6thアルバム『ヴィレッジ・グリーン・プリザヴェイション・ソサエティ(The Kinks Are the Village Green Preservation Society)』リリース
  • 1969年4月:ベースのピート・クウェイフが脱退。ジョン・ダルトン加入
  • 1969年4月:約5年に渡り出禁となっていた、アメリカでのツアーが解禁される
  • 1969年10月10日:7thアルバム『アーサー、もしくは大英帝国の衰退ならびに滅亡(Arthur (Or the Decline and Fall of the British Empire))』リリース